別荘

記憶力が低下してさみしいのでみたものの感想などを残す

わたしの/あなたのための物語(さらざんまい)

さらざんまいと私の話。

Twitterでやるには冗長すぎるし、なにより恥ずかしいのでここで。

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物語には良し悪しとは別に、多分、適合/不適合という評価軸がある。

舞台をまあまあ観に行くんですけど、こないだ見た舞台が評判はよかったんだけど私にはなんだかぼんやりしてて、でも、よかった、と言っているひとがたくさんいたのは確かだった。だからたぶん、私に合わなかっただけなんだろう。これ自体はよくあること。

物語における強度とは、物語の説得力を産むディテールの積み重ねであり、その真ん中に一本通った軸のようなものなのかなと思う。テーマとか、信念とか、祈りとか、そんなん。

よい作品だと思っても「私のための物語ではない」と思う作品もあって。去年見た阪神淡路大震災をテーマにした朗読劇がそうだった(推しが出ていた)。心動かされたけれど、私に向けられたものではないと強く感じた。これは震災によって傷つき、今も大なり小なりその傷を抱えている人たちのための物語だと思った。関西公演には行かなかったけど向こうではきっと客席の空気も違っただろうなと思う。

これ、こういうふうにnot for meはけっこう言えるけどわたしのための物語発言はあんまりできないんだよねえ。だって自意識過剰じゃん。いい年してそういうのはキリ番夢小説だけにしておきなさい。まあでもそういう物語に出会えたらきっとめちゃくちゃ嬉しいだろうなと思ってた。

 

で、何の話かというとさらざんまいの話なんですけど。

そもそも冒頭のぼんやり…もさら見た後観劇したからでは? という疑惑(兄弟の確執的な話だったんだけど久慈兄弟の鮮烈な終わりを見た後ではどうしても比較してしまうのであった)があるくらい強い物語でした。ディテールはもちろん、そのテーマ性が。

あんまり作品やら結末には言及しませんけど(もういっぱい他の人がしてるので)、私が感じたことだけ。

ラスト、酷いこと言うなあ…と思った。風立ちぬのラストの「生きて」くらい残酷!

こんなどうしようもない世界で、明日大切な人がいなくなるかもしれなくて、絶望するかもしれなくて、それでも生きろ、みっともなくても生きろ、前へ進め、歯を食いしばって生にしがみつけ、なんて。

おまえがそれを言うか!? そう思った。あまりにも辛い。

でも主人公たちはその道を選んだのだ。

欲望の河を渡るのだ。未来は希望と絶望が同時に存在していて不確かで、それでもつながりを諦めないと。諦めなければ、断たれてもつながり直せると。まあるい円の中で。この現実世界で。

これまでの人生ろくなものではなく、今だって惰性で生きてるようなもので、あがりがあるならさっさとあがりたい。そういう私にはつらかった。でも同時に、まだ生きなきゃ、と思った。まだこの先があるのだ、私にも。*1

 

イクニは私に生きろと言ったのだ。

だからこれはわたしのための物語だ。

 

手放しで喜ぶにはきつく、でも出会えたことが嬉しいです。

…なので死亡説に怒っている人たちの気持ちは正直わかる。こんなに強いメッセージを受け取ってしまったら、それが伝わらなかった人がいることに悲しくなるから。あなたのための物語にはならなかったのか、と。まあ傲慢ではあるけどねえ、と私を通り過ぎていったたくさんの物語を思い出す。それはやっぱり人それぞれだ。

フォロワーの言っていた「死亡説はそういう腐女子の希望の皿」っていうのもああ~って納得したんだけど、公式と解釈違い的な言説が嫌いなので

 

レオマブについては勝手にやってろ、以上です。まあキーホルダーとして存在が残っていたし(あれ尻子玉なんかな…)、ケッピも覚えていたし完全に消えたのではなかったのかな。他のカパゾンビみたいにつながることを諦めていたわけじゃないしね。諦めなければ円の内側にも戻ってこれるのだ、きっと。…レオの執念勝ちじゃん怖。

悠の身投げ、私は映画「ピンポン」の同じく橋の上から川に飛び込むシーンを思い出しました(アイキャンフラーーーイ!!、ね)。自分はどこまでも行くのだと、決意の飛び込み。やり直すための。

あと白ケッピと黒ケッピがディオスと鳳暁生っぽいなあとか、そしたら絶望も希望も飲み込んだ王子様の隣にお姫様がいるってすごいな、やっと王子様も救済されたんだ…とかいろいろあるんですけど、とりあえずおわり。言及しないとか言ってたのに。

 

そしてこれは完全に個人的な話なのですが、私が創作をする上で自分なりのテーマがあったんだな、ということを最近自覚したんですよ。「断絶」について、なんですけど。

でも昔は「断絶」そのものに関心が向いていたのに対して、最近は「断絶を飛び越える瞬間」にフォーカスが当たっている印象で、だからさらざんまいのテーマが「つながりたい」なのがなんか嬉しかった。嬉しい…っていうのも表現として変なんだけど。いろいろ考える切っ掛けになった。個人的に熱いテーマだったなという話。余計電波を受信してしまった気はする。人と人とは理解し合えないけどつながることはできるのだ。

断絶を挟んだまま寄り添う寒さも、断絶を飛び越える瞬間のきらめきも、どちらもうつくしいから。

 

そのへんのあれこれもあってよかったなあ、という感想ですさらざんまい。もう1話あればもっとよかったな…ここまで荒れなかっただろうなあと…アハハ。

というか死亡説生存説、オタク間の断絶だな…どうにもならんけど…などと思ってしまいオチがついてしまった感。ちゃんちゃん。

*1:どうでもいいが私はだいぶ健康だし、両親ともにわりと長寿家系なので80くらいまで余裕で元気だと思う。つれえ